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【出会い】南京に暮らす日本人たちの生き様

2023-05-10 14:56:27

 江蘇省南京市に現在日本人がどれほど住んでいるかという点に関心を持つ人はほとんどいないのではないだろうか。(文:蘭天鳴 中国青年報掲載)


 南京市政府外事弁公室が発表した統計データによると、南京に定住する日本人は500人前後であり、この数字はどの角度から判断しても少ない数字だといえるだろう。南京市において日本は常にその外資系企業進出ランキング5位以内に入っており、またかつての南北朝時代の首都として約800万人の常駐人口をかかえている上、日本人約5万人が住む上海市からもわずか300キロほどの距離しかないことからもその少なさがわかる。


 南京に住む日本人の数はごくわずかであるが、その人数すら温度計の目盛りのように微弱ながら変動を続けている。、日本人の数は敏感に反応している。


 過去80年間で、「南京」と「日本」という文字が同時に出たときは、往々にして好ましくない出来事を意味している。その代表的なものが歴史的な惨劇となった旧日本軍による南京大虐殺だ。2017年はその事件から80周年の節目を迎える。


 多くの南京人にとって、「日本人」のイメージは遠い存在でもあり、馴染みのある存在ともいえる。日常生活では出会うことがなくても、ニュースなどのメディア、歴史の教科書、テレビドラマ、中国侵略日本軍南京大虐殺遭難同胞記念館で、よく目にしたり、耳にしたりする。


 実際のところ、南京で日本人を探すのは難しくはない。同記念館から5.3キロほど、南京市の中心である新街口から真っ直ぐ西に18分、約1700歩ほど離れた場所に日本人が集まって居住するエリアがある。


 それは石鼓路近くにある街道で、そこにはさまざまなスタイルの日本料理店が並んでいる。さまざまな色やフォントの文字がネオンライトで映し出され、まるで旗のように見える。南京のあるグルメ評価サイトに登録されている日本料理店は759軒あるが、そのうち日本人が経営している店はひとにぎりほどに過ぎない。この点については兎澤和広さんが誰よりも詳しい。兎澤さんは南京日本人協会の会長であり、ある日本料理店の経営者でもあるからだ。南京で生活して24年になる兎澤さんは、流暢な南京方言の中国語を話すことができるため、中国人の友だちからは「ニセ南京人」と冗談交じりに呼ばれているという。


 人口800万人ほどの南京市で生活する約500人ほどの日本人は、ほとんどの場合、大海原の中の一滴の水のように、全く目立たない存在だが、時として白い紙の上に落とした数滴のインクのように、ある特定の時ばかりは、非常に目立つ存在となる。


 兎澤さんもそんな体験したことがあるという。それは2012年に、。これが原因で多くの中国の機関や会社が突然、兎澤さんとのやりとりを拒絶するようになり、業務を続けることが不可能となってしまい、兎澤さんの南京にあった会社3社が閉鎖を余儀なくされた。しかし、兎澤さんは荷物をまとめて日本に帰国することはなく、すぐに新しい会社を立ち上げた。兎澤さんは南京を離れるつもりはないという。


 毎年12月13日になると、兎澤さんには、自分が南京人ではないという事実を突きつけられる。そのためこの日は、兎澤さんは自分なりの方法で南京から完全に「消える」のだという。その方法とは、家でずっと寝たり、地方に出張するなどして、出来るだけ人々の前に顔を出さないようにするのだ。約80年前のその日、日本軍が南京に侵略し、約40日間にわたって市民を殺害し続けた。2014年から、その日は南京大虐殺犠牲者国家追悼日と法律で制定された。


 兎澤さんが南京で暮らし続けてきたこの歳月の中で、日本企業の技術者に対する需要が大きい時期があり、その当時南京在住の日本人は800人に達していた。しかし、2012年に中日関係が緊張状態になると、その数は一気に300人ほどにまで落ち込んだという。しかしここ数年で、日本人の数は再び500人ほどにまで回復してきている。そのうちの半分は日系企業の従業員で、残りの半分は留学生や教師などだ。2016年初め、台湾地区の富豪・郭台銘会長が率いる鴻海集団が7000億円で日本のシャープを買収した。兎澤さんはそれからすぐに、シャープ南京支社で働く知り合いの従業員が次々と南京を離れたことを知ったという。


 兎澤さんが初めて南京に訪れたのは治療が目的で、その際は長期滞在するつもりは全くなかったのだという。兎澤さんは20歳のとき、アトピー性皮膚炎を患い、全身に白い小さな水疱ができてしまい、包帯を全身に巻いた様子はまさに「ミイラ」そのものだった。そんな兎澤さんは中医学に最後の希望を託していた。兎澤さんは雲南省、西蔵(チベット)自治区、内蒙古(モンゴル)自治区などに赴き、医師を探し、ほとんど全ての治療法を試したという。24年経った今でも病気は完治していないが、兎澤さんはすでに南京を離れない決心をし、多くの日本人にとって南京の「ガイド」役を務めている。


 兎澤さんは自転車に乗って、南京を訪れた日本人を鼓楼近くの山西路によく連れて行く。片手でハンドルを握り、もう一方の手で道沿いにある小吃(軽食)を売る店を指差す。そして兎澤さんは広さ7平米しかない開業13年のお気に入りの貴州米粉(ビーフン)の店に日本人の友だちを連れて行くのだという。そのときには必ず「山西路の小吃の店はもう数えきれないほど入れ替わっているが、この貴州米粉の店はずっと前からあり、私が南京に来たときから味が変わらない」と日本人の友だちに紹介するのだということだ。


 多くの日本人が南京という都市を知りたがっている。彼らは南京を訪れるとまずはかの有名な記念館に行くことから始める。多くの日本人が約1300キロ離れたところからわざわざやってきて、兎澤さんに「中国侵略日本軍南京大虐殺遭難同胞記念館に連れて行ってほしい」と頼むのだという。

それについて、兎澤さんは、「あそこは日本人の好奇心をくすぐる場所であり、多くの日本人が、中国人があの歴史についてどのように訴えているかを知りたいと考えている」としている。

過去10年間で、兎澤さんは毎年のように南京を訪れた人たちを連れて同記念館を案内している。そして最後には必ずその敷地内にある「平和の女神像」の前で一緒に記念撮影するという。


 同記念館を訪れた外国人来場者の中で日本人は常にトップに立っている。いくつかの日本の民間組織は31年連続で同記念館を訪れ、犠牲者の追悼を行っている。彼らの大半は60-70歳の白髪をたくわえた高齢者で、その多くが戦争体験者だ。同記念館を訪れた日本人について、同記念館秘書の芦鵬さんは、「50-60歳の人はまだ『若い人』に入る。日本人の来場者の大多数が70-80歳だ」という印象だとした。それと比較すると、中国人の来場者の平均年齢はかなり若い。2016年、同記念館が来場者5500人を対象に行ったアンケートによると、中国人の来場者の平均年齢は28歳。30歳以下が全体の71%を占め、うち、73%が大学生もしくはそれ以上の学歴だった。


 南京で生活して11年になる日本語教師は取材に対して、「中国と日本の一部の若者からすると、歴史と戦争は一本の細い川のようなもの。川を隔てても相手に呼びかけながら交流ができる。しかし、その水に浸かって歴史や戦争にこだわってしまえば、全員が歴史や戦争に縛り付けられるようになってしまう」と語った。


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